人は、なんでもかんでも教わると、考えなくなります。
自分で何かしよう、と思わなくなります。
教えてくれるからいいや〜とあぐらをかくようになります。
人間の脳みそは、使ってなんぼなんです。
上達したかったら頭を使え

なぜ習いたいですか?
先生の言うとおりにしたら弾けるようになるから習いたい。

そうですよね。
実は、先生の教え方がとても大切なんです。
教えすぎると逆効果なことも。
お金払ってるんだから手取り足取り教えてよ、となりそうですが。。。
昔、こう言われた経験はありませんか?
「単語の意味は自分で辞書を引いて調べなさい。でないと自分のものにならないよ。」
私もめちゃくちゃこう言われて育ちました。
結局これは何を意味するのかというと、自分で行動し、苦労して得ないと自分のものにはならないよということなんです。
苦労するってどういうことか?
それが、頭(脳)を使うということなんだと私は思います。
慣れは恐ろしい…指示待ち人間
指示待ち人間を作るのは簡単なことです。
手取り足取り教えればいいんです。
そんなレッスンを続けていると、人間不思議なもので、次第に受け身が当たり前になります。
慣れは怖いです。
教えてもらって当たり前。
考えなくても先生が全部教えて答えてくれるから、その通りにだけすればいい。
これでは、おそらく一生かけても自分のものにすることはできません。
先生がいなくなれば途端に弾けなくなります。
これは、生活面でも同じことになるように私は思います。
自ら考えて動けないんですよね。
自分で考えるから自分のものにできる
頭で考えて行動すると、知識も技術も定着しやすくなります。
それは結局、自分のものにする、ということに繋がるんです。
私のレッスンではすぐに答えは出しません。
教えすぎないこと、を気をつけています。
生徒さん自身が気づくのを待つこともあります。
教え過ぎないためには、問いかけが大切です。
例えば。。。
私「今弾いてみてどうだった?どこか弾きにくいって思ったところはある?」
生徒「うーん、ここのところかな」
私「なるほど。なんでうまくいかないんだろう?」
生徒「音程がね、きれいに取れなかったんだよね、うーん」
理由をいろんな角度から考えてみます。
こうかな、ああかな、、、
時には、私が弾き比べてみたりもします。
「〇〇ちゃん、〇〇くんの真似して弾くよ!」って。
第三者目線で聴いたり見たりすると、途端に気づくことが多いんです。
生徒「わかった!音程が高かったんだ!」
私「そうだね!よく気がついたね!じゃあ音程が高いということは、どうすればいいと思う?」
生徒「低くすればいい!あ!お父さん指の位置だ!」
これは一例です。
(音程が高い低いは、親指だけに原因があるわけではなく他に原因があることも多いです。)
すぐに答えを出さず、問いかけて考えてもらい、自分で気づくことで、レッスンが受動的ではなく能動的になります。
こうやって問題点を意識できると、自分のものと捉えることができるため、解決も早く、しいては上達も早くなります。

これが実は、当教室のレッスンが幼児さんであっても1時間では足らない、という理由でもあります。
言われてやる、のではなく、自分で考えて行動する。
幼い頃から物事を自分ごととして捉え、問題提起をし解決に導く力を育むことは
非常に大切なことだと思っていますし、それをレッスンで育むことは、
教室の理念にも繋がる部分でもあります。
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